みなさんこんにちは!
今回はヨガ哲学の中の【八支則】について少し触れてみたいと思います。
ヨガ哲学とは簡単に表現すると、人生そのものを有意義に過ごすためのメソッドとも言えます。人生の質を高めるために、より自分らしく生きるために、ヨガの哲学から学べる教えを紹介していきます。
そもそも「ヨガ」という言葉はヨガの聖地であるインドの言葉、サンスクリット語の「yuj(ユジュ)」という語源から来ています。直訳でいうと、「くびき」を表し、牛や馬が荷台を引く際に後ろにかけられる横木のことを指します。そこから「結ぶ」「つなぐ」「調和」などという意味に派生していきました。「ヨガ」という言葉の由来を学ぶだけでも、スタジオで学ぶ「ヨガ」、そしてそのインストラクションの意味との関連が見えてくるかと思います。
【八支則】「Yama(ヤマ)」
ヨガには、人生の質を高めるために8つの教えがあり、このYamaはその根底の教えとなります。「Yama(ヤマ)」とは【禁戒】のニュアンスを含み、5つの実践すべき教え、特に、気を付けるべきこと、行わない方が良い事、をまとめたものです。
具体的な実践方法としては、
- アヒムサー(非暴力)…暴力を振るわないこと
- サティヤ(真理)…誠実であること、正直であり、一貫性を持つこと
- アスティヤ(不盗)…盗まないこと、奪わないこと
- ブラフマチャリヤ(禁欲)…取捨選択をし、集中力を高めること
- アパリグラハ(無執着)…欲しがらない、執着しないこと
- アヒムサー(非暴力)…暴力を振るわないこと
自分の身近な人や、友人、同僚はもちろんのこと、認識できていない知らない人さえも非暴力の対象になります。加えて、人だけでなく、生き物や物、そして忘れがちな自分そのものにも傷つけないと誓うことを「ア(非)ヒムサー(暴力)」と呼びます。
私たちの日常生活の中でも無意識のうちに「暴力」が生まれていて、例えば、叩く、蹴るなどの他者に対する物理的な暴力、言葉からの精神的な暴力が一般的な暴力にあたります。ヨガの中ではそういった暴力の他、自分自身に対する無理強いや、必要以上の頑張りも暴力に値します。例えば、ヨガレッスンの中での出来事でいえば、自分には難しいアーサナを「自分だけできないのは恥ずかしい」というエゴから、無理矢理頑張らせてしまう事、そしてそのエゴが怪我に繋がってしまう事、これは立派なヒムサーになってしまいます。
意外と身近に存在するヒムサーを、いかに意識的にアヒムサーに変換していく思考や努力を取り入れていくかが、ヨガを通しての課題となります。
- サティヤ(真理)…誠実であること、正直であり、一貫性を持つこと
このサティヤの実践が、今日では一番難しいと感じています。サティヤの実践には真実を語ること、ありのままに誠実でいることが含まれるのですが、現代の情報社会では、正しい情報の取捨選択が難しいと言われているからです。嘘や偏見から真実を歪め、それを人に伝えないようにすること、損得勘定を働かせないように真実を真っ直ぐに伝えること、これをサティヤと呼びます。
また自分自身にも正直でいること、誠実であること、これらもとても重要なサティヤの実践です。やると決めたことは必ず行うこと、過去の自分の決断に誠実であること、これはとても難しいことだと思います。「継続は力なり」ということわざがある通り、継続することはその先にある結果の為にもとても大切です。しかしヨガはその継続の先の結果ではなく、継続すると決めた自分や他者への信念の貫き方が大切だとされます。
- アスティヤ(不盗)…盗まないこと、奪わないこと
これは道徳的にも広く認知されている事柄で、人の物を奪わない、盗まないことが一般的な例となります。物質的な盗みを行わない「アスティヤ」がこれにあたります。
これに加えて、私たちが無意識に行ってしまっている可能性のある非物質的な盗み。こちらに注意をしていく必要があります。
私たちは「時間」を無意識のうちに人から奪うことがあります。具体的な例でいえば、AさんがBさんとの待ち合わせの時間に5分遅刻したとしましょう。待ち合わせ場所で待ってくれているBさんは、Aさんの遅刻によって、5分奪われたことになります。このような行動もヨガの中では「盗み」に含まれ、そうしない為に、余裕を持って行動すること、時間設定をすること、そして約束を破らないことが大切な心がけとされています。
- ブラフマチャリヤ(禁欲)…取捨選択をし、集中力を高めること
私たちには、生きるために必要な3大欲求(食欲、睡眠欲、性欲)があると言われています。この欲が極端に偏ったりせず、純粋性が保たれていること、癖になってやめられない状態に陥らないこと、これがブラフマチャリヤです。私たちの多くが、一度癖になるとやめられない、物事への執着心というものを抱えています。例えば睡眠欲に関しては、寝ても寝てもまだ眠いと感じることは、長く寝ないと身体が絶対にスッキリしないという思考に執着している状態と言われます。科学的にも、寝すぎることで逆に身体が鈍くなり、重くなり、疲れやすくなると言われる中で寝すぎることに執着すると、結果として、身体も機能が衰え、老廃物が貯まったり、新陳代謝が悪くなったりと、悪循環に陥ることがあります。寝すぎることによって神経系が鈍くなり、乱れやすくなります。これを行わないように促すのがブラフマチャリヤです。何でもバランスを均等に保ち、維持することで、物事に対する集中力や、取捨選択する力を備える必要がある。これがブラフマチャリヤの例となります。
- アパリグラハ(無執着)…欲しがらない、執着しないこと
「どんなに欲しがっても、保有しても、死ぬときにそれらは持っていけない」。だから必要以上に欲しがらず、シンプルに生きようとするのがこのアパリグラハです。高級ブランドのカバンや、高級な車、ジュエリーといういわゆるラグジュアリー品は必要以上の欲しがりに部類されます。持っているもの、着ているものなどで人を見てしまうと、その人の内側にあるものが見えなくなってしまう、すると自分自身も見失うことに繋がるとされています。
また過去の失敗や後悔に執着しない、囚われないこともこの教えの一部です。過去の間違いや失敗を気にしているのは、自分自身のみ。そこに囚われる決断をすることで、次の決断に影響を及ぼしたり、物事の本質が見えづらくなってしまうのです。常に純粋でいるために、過去への執着を捨てようとする教えもこのアパリグラハです。
みなさんいかがですか?
意外と日常生活の中で、自分の中に存在する思考に上記のような経験はありませんか?
私自身は、自分自身に対する「完璧主義者」だったので特に①のアヒムサーと⑤のアパリグラハという実践に苦労しました。自分に完璧でありたい場合、自分に厳しくすることが習慣になるので、優しくすることは難しく、そして過去の失敗を何度ものぞいてしまう癖があるのです。しかし、そうしないことが自分の為になることすら気づけていなかったため、この2つの教えには非常に助けられたことも事実です。
皆さんもぜひ自分の日常と照らし合わせてみて、役立ちそうな教えがあればぜひ実践してみてください!