コラム 2023.12.28

忘れながら生きる

先日、母方の祖母が亡くなりました。

 

80歳の、傘寿のお祝いを迎えた後のことでした。

祖母は健康体で病気も特に無く、ほんとうに突然のことでした。

 

本日のコラムは、タイトルの通りです。

私達はいつも、さまざまなことを忘れながら、生かされています。

私もそのうちの1人です。

そうでもしないと、生きていけないからなのか、学説的なことはわかりかねますが、

本日はその祖母のことから感じとったこと、気付かされたこと、ヨガについて触れられたらと思います。


 

保育園、小学生の時

私の両親は共働きなため、熱が出るといつも祖母の家に預かってもらっておりました。

熱でしんどいのに、何故か心の中はおばあちゃん家に行ける!やったー嬉しい!と、わくわく感を持ちながら、世話になってました。

 

おばあちゃんはおしゃべりで、とくに何もしてないのに、いつも、私や兄妹を褒めてくれておりました。

 

クリスマスや大晦日の時、また、私や兄妹の誕生日の時など、イベントごととなると必ずおばあちゃんは家に来てくれました。

お菓子や、お駄賃、母と買い物へ行った時に私達が着ると思い、買ってきてくれた服など。

 

いつも、何かしらを、私たち兄妹に与えてくれました。

 

 

お通夜、葬儀、火葬場まで

ずっと、母と一緒におりました。

 

お経を唱えられている中で、おばあちゃんとの思い出が、いろんな思い出が、心の中で溢れてきて涙がとまらなく、喉や鼻が苦しくて苦しくて、呼吸する度に、見たくない現実を思い知らされるようでした。

 

おばあちゃんと、旅行に行ったこと

外食したこと

運動会でたくさん応援してくれたこと

いつも心配してくれたこと

電話出る時の明るい声

ハグしたときの骨ばった体

 

私の名前を、名付けてくれたこと

 

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隣で嗚咽しながら泣いている母をみて、また、別の涙が流れてきました。

 

目の前で寝ているおばあちゃんは、どこに、いっちゃったのだろう

目の前にいるのに、いない。

現実を受け入れる猶予なく、夜に読んでいたヨガ哲学の本もしばらく手をつけられませんでした。

 

ヨガ哲学、『八支則』は有名な哲学です。

 

私はこのとき初めて、ヨガ哲学なんて要らないって、心の底から実感しました。

こんなもの、とても現実でおこってしまう事実に対してはたらかないしそんな優雅なこと考える余裕なんかないって、心底おもいました。

 

本では、そう感じてしまいがちで、さらに頭では『わかってるつもり』に陥りやすい。

 

こんな状態の私に、ヨガインストラクターの友人や同僚、上司、昔からの友達、パートナーは寄り添った言葉をかけてくれました。

 

とくに、イントラの友人や上司からの言葉で、私ははっとさせられました。

 

『哲学は、今は不要かもしれないが、いずれこの状態から光をさし導いてくれる手助けとなるはずだから』

 

『泣きたい時に、たくさん泣くんだよ、雨が降ったら虹が必ずかかるしね!』

 

『だからこそ、【今】しかないと思って生きています。過去も未来も、【今】の産物なだけでなにも存在していない。死をもって、大切な誰かが教えてくれるんだと』

 

 

ヨガの基本は、『心のはたらきを止滅させること』

あぁ、そうだったと、思い知らされました。

 

今の連続が、生きる、生かされるということだった、

不運ばかり、暗ばかりではなく必ず明かりが灯ること。

この世に存在する動植物や私達自体も、相反する2つのバランスで成り立っていること

 

生きるとは、死ぬこと。

私は、死そのものを、頭でわかったつもりでいただけでした。死はイベントなんかじゃない、日常だと。

でも、死はイベントだった。

私の『心の中では』そう感じてしまっていたことに、漸く気付きました。

 


おばあちゃんは、私達家族を悲しませるために、亡くなったわけじゃない。

 

現に、この期間はとっても空が晴れていて、空気も澄んでおり、

私自身や家族、親族、この場にいる人達や草木などすべてが、太陽に照らされていて、あたたかくて、悲しくなるぐらい愛しいと、思えて

母と微笑みながら、おばあちゃんのことを見送ることができました。

 

八支則、ニヤマの教えは、私達はすぐに忘れます。

 

シャウチャ

いずれ還すこの心身を浄らかに保ち

 

サントーシャ

常に自分は満ち足りているということ

 

タパス

苦行を乗り越え続け成長し

 

スヴァディアーヤ

智慧を放棄せず

 

イーシュヴァラ・プラニダーナ

偉大なる自然を信じること

 

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もうすぐ、大晦日ですね。

大晦日も、私はきっとおばあちゃんのことを思い出し、また泣いてしまうかもしれません。

 

でも、それで良くて、

泣きたい時に泣くつもりです。

 

なぜならそれは、私がおばあちゃんから身をもって受けとった、たくさんの愛が繋いでくれたものだから。

 

愛されていたからこその、涙だから。

 

皆様も、今、会いたいとおもえる人がいたら、是非会いにいってあげてくださいね。

 

長々と、失礼仕りました。

ここまでお読みいただき、ほんとうに、ありがとうございます。

 

皆様がご無事で、健康で、良いお年をお迎えできること、祈っております。

 

翌年も、この【今】という瞬間が、生きることそのものであり、とても肝要で儚く、すべてのことが『当たり前ではない』ということを

 

ヨガを通して、心で、気付いてゆきましょう✴︎

2023.12.28

shima

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