皆さま、こんにちは!
昨今は「全集中」や「~の呼吸」が、はやりましたね。
今回のコラムはこの「集中」という言葉の意味と、よく混同される「夢中」について、辞典をもとに私Shimaの解釈をお伝えさせて頂きます。
まずは辞典での意味をご紹介いたします。
◆夢中とは?
…①物事に熱中して我を忘れること。また、そのさま。「夢中で本を読む」「競馬に夢中になる」「無我夢中」
②夢を見ている間。夢の中。
③ 正気を失うこと。また、そのさま。
◇集中とは?
…①1か所に集めること。また、集まること。「精神を集中する」「質問が集中する」
② ある作品集や文集の中。「この描写は集中の圧巻だ」
さらに漢字のもつ意味も、調べてみました。
・「夢」…ゆめ、ゆめみる。ゆめのようにはかないもの。
象形文字。角(つの)のある人が寝台に寝ているかたち。悪夢の意味を指し、夢、はその省略形。ひいて「ゆめ」の意。
・「集」…あつまる、つどう、よせあつめる。
会意。多くの鳥と木から成る。沢山の鳥が木の上にあつまるさまにより、「あつまる」意を表す。
・「中」…まんなか。なかほど、三つに分けた二番目。かたよらない。ひとびと、ずっと。その間ずっと。すべて。
指事。中は、物(口)の内部を一線で貫き、「うち」の意を示す。
軍の中心に立てる旗で、ひいて中央の意を示す。
辞典での意味は、このような感じでした。
ヨガをする前まではそこまで意識していなかった言葉でしたが、意味も結構なちがいがありますね。
あとは、漢字そのものが持つ意味で「中」という漢字。
「ずっと」や、「ひとびと」の意もあるのだと、この意味があるからこその熟語なのだと思い知らされますね。
ここからもわかるように、この二つの言葉の違いとしていえるのは自我の有無、その刹那や時間に対して【自意識があるのかないのか】の、差だと思います。
「私」という意識がある上で、一つの物事に意識を集めることが、「集中」であって
「私」という意識を手放した上で、一つの物事に意識を取り込まれることが、「夢中」
そしてヨガは、意識をご自身の内側へと集中していくものです。
おそらくどの先生も、レッスンでは集中という言葉はあまり使っていないかと思います。
呼吸に意識を向けるという行為こそが、内側を見つめること、集中とイコールになるからです。
ヨガに夢中になる、という言葉はあり得ないのです。
この二つの言葉の違いだけではなく、ご自身で混同しているもの、曖昧なものをご自身の感覚を含めて明確にしていくのも、「私」を知る手掛かりとなります!
その時にご自身が気になったことやものを、大切にしていきましょう♪
shima