コラム 2021.05.17

「集中」と「夢中」のちがい

皆さま、こんにちは!

昨今は「全集中」や「~の呼吸」が、はやりましたね。

今回のコラムはこの「集中」という言葉の意味と、よく混同される「夢中」について、辞典をもとに私Shimaの解釈をお伝えさせて頂きます。

 

 


 

まずは辞典での意味をご紹介いたします。

 

◆夢中とは?

…①物事に熱中して我を忘れること。また、そのさま。「夢中で本を読む」「競馬に夢中になる」「無我夢中」

②夢を見ている間。夢の中。

正気を失うこと。また、そのさま。

 

◇集中とは?

…①1か所に集めること。また、集まること。「精神を集中する」「質問が集中する」

ある作品集や文集の中。「この描写は集中の圧巻だ」

 

さらに漢字のもつ意味も、調べてみました。

 

「夢」…ゆめ、ゆめみる。ゆめのようにはかないもの。

象形文字。角(つの)のある人が寝台に寝ているかたち。悪夢の意味を指し、夢、はその省略形。ひいて「ゆめ」の意。

「集」…あつまる、つどう、よせあつめる。

会意。多くの鳥と木から成る。沢山の鳥が木の上にあつまるさまにより、「あつまる」意を表す。

「中」…まんなか。なかほど、三つに分けた二番目。かたよらない。ひとびと、ずっと。その間ずっと。すべて。

指事。中は、物(口)の内部を一線で貫き、「うち」の意を示す。

軍の中心に立てる旗で、ひいて中央の意を示す。

 

辞典での意味は、このような感じでした。

 

 

ヨガをする前まではそこまで意識していなかった言葉でしたが、意味も結構なちがいがありますね。

あとは、漢字そのものが持つ意味で「中」という漢字。

「ずっと」や、「ひとびと」の意もあるのだと、この意味があるからこその熟語なのだと思い知らされますね。

 

ここからもわかるように、この二つの言葉の違いとしていえるのは自我の有無、その刹那や時間に対して【自意識があるのかないのか】の、差だと思います。

 

「私」という意識がある上で、一つの物事に意識を集めることが、「集中」であって

 

「私」という意識を手放した上で、一つの物事に意識を取り込まれることが、「夢中」

 

そしてヨガは、意識をご自身の内側へと集中していくものです。

 

おそらくどの先生も、レッスンでは集中という言葉はあまり使っていないかと思います。

呼吸に意識を向けるという行為こそが、内側を見つめること、集中とイコールになるからです。

 

ヨガに夢中になる、という言葉はあり得ないのです。

 


この二つの言葉の違いだけではなく、ご自身で混同しているもの、曖昧なものをご自身の感覚を含めて明確にしていくのも、「私」を知る手掛かりとなります!

その時にご自身が気になったことやものを、大切にしていきましょう♪

 

shima

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